残念論④
SNSは気楽で気さくな場だろう。誹謗中傷だの残念でならん。おっと、何を期待した?
顔が見えない方が良いというのは、ペットはしゃべらない方が良い、みたいな話で、想像の余地がある分、お互いが自由になれる、という理想がある。そして、それだけ。
皮肉を言うなら、”残念”の境地に立つための場に、なり得るということ。
物理を介さない繋がり、というのは、ある意味では、初めから”不可侵”だ。この距離感を冷静に見つめることは、健全な現実と、それなりの残念を感じる、イイ機会だったりする。
全く快適な、精神交換のやり方は、すでに、実現している…!
そろそろ、ホントに良い時代になるんじゃないか?
そんな理想を上から見下ろすのも、”残念”の残念な楽しみ方である。